自由の女神

  
 
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自由の女神の歴史

鉄柱による骨組みを銅板で覆った構造になっている。以前は171段の螺旋階段によって冠部分の展望台に上がることができたが、アメリカ同時多発テロ事件の影響を受け一時閉鎖となり、2004年には2000万ドルをかけテロ防止措置が取られ内部の見学が再開されたが観光客が上がることのできるのは台座頂上部の展望台までである。なお2006年8月9日には、像内部の見学は今後も再開しない方針であることが明らかとなった。

台座部分はアメリカの移民の歴史の博物館になっており、エマ・ラザラス (Emma Lazarus) の「新大国 (The New Colossus)」という14行詩が刻まれている。また、現在は撤去されているがフランスのフリーメイソンからアメリカのフリーメイソンに贈られた旨とフリーメイソンシンボルの入ったプレートがあった。

1990年代に、この像は、白人か黒人かとの議論になった。双方に、それらしい理屈があり意見の一致をみることは無さそうであったが、「緑人」ということで議論は終息した。

なお、ニューヨークの自由の女神像は送り主のフランスに向けられているとよくいわれているが、実際はニューヨーク港のほうを向いている。


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